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コラム「異見と意見」

“ふるさと”は心のよりどころ

 かつて10年ひと昔と言った時代があった。しかし最近はドッグイヤー、マウスイヤーと言う言葉が使われるようになったほどに世の中の変化が激しく、さらに情報の氾濫も加わって、ビジネスの世界でも社会生活の上でも、慌ただしく、落ち着きが無くなったように感じられる。そのような環境の中で人間社会における私達は、目先のもの、自分の利害、あるいは仕事の事に、時間だけでなく身も心も奪われ、人間関係では疎遠に、精神面ではひ弱になって来たように感じられる。


 経済的には極めて豊かになったのに、社会のあちこちに孤独になったホームレス者や、鬱症状などの精神的な苦しみを持つ人達が多くなった。これで良いのだろうか?私がまだ若かった頃、ある会社の総務部長が機会ある毎に言っていた「人の人たる所以は、人と人との結合に有り」と言う言葉が思い出される。貧しくともお互いに支え合い、精神的にもたくましい人が多かった時代。

 

 一方ビジネス社会では、人も製品も大切にする日本の伝統的なビジネス文化が姿を消し、株価に敏感な業績や成果偏重の欧米型ビジネス文化が主流になって来た。そう云うビジネス社会の変化が、人間関係を疎遠にし、人を精神的ひ弱にしてしまったのだろうか。

 

 私は、激しい変化、慌ただしさの中で走る事に疲れたら、自分を見失ったら、あるいは行き詰まったら、'ふるさと'を思い出したら良いと思う。'ふるさと'は心の原点。原点に返って出直したら良いと思う。'ふるさと'は心のよりどころ。'ふるさと'は力になる。勇気を与えてくれる。

 

 地域開発が進んで、自分の故郷(ふるさと)は跡形も無くなったと云う人も居よう。しかし大切なのは物理的な場所だけではなく'心のふるさと'。実存の生まれ育った故郷だけでなく心に残る'ふるさと'。生まれ育った懐かしい街、想い出の場所、懐かしい恩師、竹馬の友、あの夏祭りの想い出、野山を駆け回って遊んだ子供の頃の思い出でも良い。懐かしい歌でも良い。かつて読んで感動した本だって良い。

 

 精神的なふるさとは、誰にでも、時代や環境の変化を超越して、いつまでも有り続ける。そこに帰れば自分の心を、その時の自分を取り戻す事が出来る。もしも人生の道程で、あるいは仕事で、自信を失ったり行き詰まった時には、この'ふるさと'に心を戻そう。'ふるさと'は心の原点。そこから出直したら良い。'ふるさと'はいつも暖かく、自分を取り戻させてくれる。

 

 私の生まれ故郷は大分県の片田舎。就職のため、知人も無く、地域についての知識も無い大都会'京浜地区'に向かって故郷を出る時、母親に言われた言葉を思い出す。「苦しい時、困った時は故郷を、故郷での日々を思い出したら良い。故郷はいつも貴方の味方、応援者だ」と。

 

 また同時に「故郷が恋しいと思っている内は、人間としての道に反した生き方をしていない証拠。故郷を忘れてしまうように成ったら、それは大都会に飲み込まれ、人間としての道を踏み外したと言う事」と。故郷を離れて45年過ぎた今も、私はこの言葉を忘れない。そして苦しい時、困った時、迷った時、'ふるさと'を思い出す。'ふるさと'は力の源泉。

 

 私は最近、生まれ育った故郷大分から3つの力を頂いた。

 

 一つは、大分にある日本文理大学の野球チームが昨年、大学野球日本一になった背景の話。野球エリート集団で無いからこそ、部員の欠点管理でなく良い点を結集し、それを鍛えた結果日本一になったという。これはNCKの落ちこぼれ集団の発想。

 

 二つは、1月4日に放送されたNHK時代劇「大友宗麟」。豊後大分の大名大友宗麟はキリシタン大名として知られ、あの戦国時代に西洋文化に心を開き、戦いの無い社会を実現する事に人生をかけた。故郷の大先輩にそんな人が居た。武力による悲劇が絶えない昨今。内向きな企業経営者の多い昨今。国家のリーダーも企業リーダーも、歴史という'ふるさと'に力を借りよう。

 

 三つは、1月7日に日本経済新聞のコラム'あすへの話題'に寄稿した現大分県知事の次のようなエッセイ。【この新年に当たって臨済宗のお坊さんから「転凡成聖」という言葉を頂いた。「ありふれたものでも、世に優れたものにする事ができる。大事な事はその転換のエネルギーなのだ」と言う。「凡人中の凡人としては、凡から始まって事と次第によってはすごい事になるという」ところがうれしい。今年もそんな気持で意地を張りながら凡を貫こう。】これもNCKの落ちこぼれ集団の発想。
 'ふるさと'を忘れることなく、NCKは今年も落ちこぼれ集団で行こう。

 

(H16.1.9 記)