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コラム「異見と意見」

企業戦士育てより良き社会人育てを

(財)尾崎行雄記念財団発行「世界と議会」8・9月号より

 最近の日本社会は、経済不況だけではなく、不正、不祥事、凶悪事件とその犯罪者の低年齢化など、過去には想像も出来なかったような事件、社会秩序の混乱が起きており、重苦しい、閉塞感の中にある。そういう社会の問題や現象に対する原因分析や対策について、多くの方々が、いろいろな場で意見や提案をしているが、既に言葉の時は過ぎ、今必要なのは実際の行動である。

 

 その為、先ずは経済を活性化し、その結果として国民の意識に元気を取り戻す事が一つの解決策であり、今の日本企業に期待されている緊急課題かと思う。資金、技術、インフラ、そして上質の労働者といった、経済に必要な重要エレメントは総て揃っている日本である。また環境に何の変化がなくても、トップが覚悟を決めて責任を持った経営をすれば、会社を元気にする事が出来る例を日産自動車が示してくれた。日本人経営者でも本気になれば、同様の成果を期待できる。

 

 しかしながら、前記したように今の日本は経済だけでなく社会も病んでいる。経済の現状は結果であり、問題の根元は別の所にあるのではないかと思う。これを経済問題と勘違いし、長期にわたって経済に注目し過ぎた対策が、経済回復を遅らせ、社会をますます混乱させて来たのではないだろうか。

 

 私は企業経営者の一人として、この日本社会の混乱には、企業に大きな責任があると感じている者である。世界も羨む経済的豊かさを確保して以降も尚、企業の経済至上主義は止まらず、その中で企業経営者も国民も日本人としての心を失ってしまった事が、社会混乱の根本の原因であり、責任感を持った覚悟の出来る経営者育成の障害になって来たとも言える。

 

 従って今、この長期不況からの脱出に当たり、企業は単に経済問題にのみ注目するのではなく、背景にある本当の原因、社会の中での企業の役割、企業のあり方や社会的責任などについても再検討、再認識し、経済再生と共に社会再生に取り組む事が重要ではないかと思う。その基本は企業戦士育てではなく自立した良き社会人育てだと考えている。良い社会あってこその企業活動である。

 


社会の状況は民度で決まる

 ―企業は最大最強の社会人教育機関

 

 かつて、バブル経済の中で誰もが物質的豊かさに狂奔し、バブル経済が崩壊すると同時に、社会を構成する各階層、政官財そして個人、組織、団体による、金、権力、生命にかかわる無責任、不正、不祥事が続出し始め、凶悪事件もエスカレートして来た。そして今では少々の不正や不祥事にも既に誰も驚かなくなっている。

 

 そのような大人社会を作っていながら凶悪事件犯人の低年齢化に驚くのは、大人達のご都合主義ではないかと私は思う。

 

 昔から「子供は親の背中を見て育つ」と言う。大人達でさえ驚かなくなったこの社会混乱が、子供達の精神的成長に影響しないはずがない。

 

 政治家、官僚、企業と経営者、教師などによる不正、不祥事、親による子供の虐待、殺人事件、それに輪をかけるように、企業は経済至上主義の下、社会的影響を無視した商品やサービスの販売、例えば家庭やゲームセンターでのゲームソフト、TVや映画でのアニメ、特撮SF、アクションもの、雑誌、マンガ本などに見られる過激な残虐性、社会や命を軽視した商品やサービスなどで社会を埋め尽くし、子供達はかつてないほど種々雑多な“背中”を見て育っている。

 

 インターネットで時間、空間を超越して情報交換できる時代でもある。大人達による「近頃の子供達は…」という発言は不適当であると言えよう。

 

 私は社会の質は民度以上には良くならないと考える。従って民度を向上させない限り社会は良くならないし、子供による凶悪事件もなくなる筈がないと考える。しかしながら1億2,600万人もの国民の民度を向上させる方法などあるのだろうか?これは至難の技である。

 

 落ち着くところまで落ちてしまうしかないという意見もある。しかし私は今こそ企業の出番だと思う。荒廃した貧しい日本をここまで豊かにする事に最も貢献したのは企業であり、民度をここまで引き下げてしまったのもまた企業であると思う。だからこそ、民度向上を図れるとしたらそれは企業しかないと考える。企業は最大規模、最強の社会人教育機関である。

 


第二次世界大戦後の日本企業が果たしてきた事

 

 企業は資本主義の申し子として、営利を追求するのは当たり前である。企業は国民に働く場を提供し、かつ税金を払う事で社会貢献すると学校で聞いた事がある。さらに、科学技術の発展、新しい技術や商品の開発、そしてサービスの提供などで社会を豊かにする事も、企業の社会的貢献であると知っている。しかし企業の果たす社会的役割はそれだけで良いのだろうか?
 昭和20年、日本が戦争に負けたあの時の日本の中心都市は、北海道南西沖地震による津波で壊滅状態になったあの奥尻島のように、阪神大震災により焼け野原となったあの神戸の街のように、まさに荒廃の地であった。疎開地からの引揚者はもちろんの事、誰もが住む家も生活物資もなく、その日の生活にも困った。

 

 そのような中で、とにかく一時的には日本人としての心を脇に置いてでも、先ずは、水道の蛇口を開いた時の勢い良く出る水のように(松下幸之助理論と言った?)、物資が豊かな社会を目指して、使命感に燃える企業経営者と勤勉な日本人労働者が力を合わせて、低賃金、長時間労働にも不平不満を言わず、我慢に我慢を重ねて、実に良く働いて来た。当初は「安かろう、悪かろう」の品物と批判されながらも技術を磨き、工夫改善に努め、品質を高め、自己消費は我慢して、低価格を武器に輸出を続け、戦後25年間という世界も驚くスピードで、西側諸国第2の経済大国と言われるまでに脅威の発展を遂げた。

 

 しかしながら、経済大国と言われるようになって久しいにも拘わらず、企業は相変わらず経済至上主義を続け、国民もまた、物、金だけで価値を測るようになり、それはバブル経済の中で頂点に達した。企業は社員を企業戦士として、時には社会を乱してまでも自社利益を図り、個人としては他人への思いやりの心が消え、先輩は先輩らしさを失い、上司は上司らしさを失い、殆どの国民は自己本位になり、あの奇跡的な日本発展の原動力となった年功序列制度が通じなくなった。

 

 企業は上司と部下という指令関係、利害関係の中で、知らず知らずの内にその社員に大きな影響を与える、その意味で強力な社会人教育機関と言える。大小企業に関係する7,000~8,000万人にも及ぶ多数の国民が影響を受けている。そういう視点から考えれば、民度を低下させるのも向上させるも企業であると言える。民度が変われば政治も、官僚も、そして教育の現場も変わるであろう。

 

 私は、バブル経済崩壊は経済至上主義の止まらない日本企業への天罰であり、日本人の心を取り戻させる事を気付かせる為の天の恵みだとも考えている。だから選ばれた者としての企業経営者は、そういう認識を持って企業経営に当たるべきだと考える。

 


実験企業 「株式会社日本コンピュータ開発」

 

 今は評論や提案をするだけの時ではない。物事は実行して初めて価値がある。私はその思いを次のような経営理念として定め、自社売上向上のために他社の育てた人材を引き抜くのではなく、全社員を新卒から採用し自社で育てるという方針の下、(株)日本コンピュータ開発という実在の企業で、既に15年間を超えてその実践に挑戦している。基本は当たり前の事を当たり前に実行する事である。

 

  (一)社会に役立つ仕事をしよう。

  (二)社会に役立つ活動をしよう。

  (三)社員も会社も良き市民になろう。

 

 役立つ仕事とはニーズがあるという事である。売上を上げる為に売りたいものを売るのではない。生き残るために社会を混乱させてまで商品を売りつけるより、役立つ仕事が出来なくなったら潔く倒産するのも社会貢献の一つである。

 

 企業は営利活動だけが活動の全てではない。企業市民としていろいろな活動を通じて社会貢献ができる。一例として外国からのインターン大学生を受け入れ、社員の異文化教育と共に、日本を知ってもらう民間外交にも挑戦している。

 

 また社員を自社の営利のためだけに働く企業戦士に育てるのではなく、社会や会社との間でギブ・アンド・テイクの出来る自立した社会人に育てる事を目指している。 私はこのような考えの下、「生き残る為の経営」ではなく「いつ倒産しても良い企業経営」に挑戦している。会社は元気な時に精一杯、社会や顧客に対して喜ばれる仕事をし、株主に対しても精一杯の分配をし、社員は日頃から、会社依存型ではなく自立した社会人への成長を目指して育成指導するように努めている。