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コラム「異見と意見」

日本、日本人が大切にすべき遺産

 富士山が世界遺産に登録された。日本で最も高くその美しい姿から、古くから日本人に愛され信仰の対象にまでされ、日本のシンボルとして誇りに思って来た富士山。その山麓は雪解け水が豊富で、富士五湖や忍野八海に見られる良質な湧き水は、その景観と共にすばらしい自然の恵みであり遺産である。その事が日本人だけでなく世界の人々にも認められたことを素直に喜びたいと思う。そんな時、喜びに水を差すつもりはないが、こんな時だからこそ喜びに浮かれるだけでなく、冷静に考えた方が良いこともあるので敢えて話題にしたい。

 日本人に愛される日本一の山であるだけに毎年の登山者は多く、シーズンともなれば蟻の行列、いや通勤ラッシュ時に駅から吐き出されてくる人波のようで、落石に身をよける行動も出来ないほど過密だという。それだけではない。街中の公園を散歩するのとは全く違う登山への、心構えの無い安易あるいは無謀な登山者の健康障害発生への緊急対応や、マナーを心得ない登山者が落とすごみ拾いなど、裏方の皆さんの労力には大変なものがあるだろう。今回の世界遺産登録で、日本はもちろん、世界から一層の訪問者、観光客の増加が予想され、多くの人々に日本人が誇りに思う富士山を知っていただき、また観光客で地域が活気付くのも良いことだと思う。しかしながら、今でも都会のラッシュアワー並混雑状態にある富士山への登山者が、さらに増えることが本当に良いのだろうかと疑問に思う。今回世界遺産に登録されたのは、必ずしも頂上からの眺めの良さだった訳ではなく、三保の松原を含めて認定されたように、信仰にも結び付いたあの素晴らしい容姿と自然界との調和のとれた景観にあったと思う。登山に限らない富士山の愛し方を考えたいものだと思う。

 一方で、富士山は現在を生きる私たちが汗水流して作り上げたものではなく、地球の、長年の自然現象が作り上げてくれた自然からの贈り物、自然遺産である。またその素晴らしい遺産を大切にし、単なる“山”に留まらせるのではなく、信仰の領域にまで価値あるものに高めて来たのは先人達であり、伝統的な日本人の精神文化だと思う。富士山は自然からの贈り物であると同時に先人達からの贈り物でもある。その様な視点に立つと、現代を生きる私たちが今最も大切にしなければならないのは、自然や先人たちからの贈り物を、ただ誇ったり目先のビジネスに利用したりするだけでなく、その遺産をいかに維持し後世に引き継ぐかではないだろうか?

 世界の中で、それぞれの国民や民族が世界に誇るものの中には、世界遺産に登録されるような自然や文化、歴史的建造物などだけではないものもある。その中でも私が最も大切だと思うのは、そのような遺産を引き継ぎ、それを世界に誇る今を生きる人達が、それを誇るに恥じない振る舞いが出来ているか、人間的誇りを持っているかどうかということである。如何に過去の人達やその遺産が偉大でも、それを引継ぎ現在を生きる人達がそれに値しない振る舞いをしては、先人達に恥じることになる。

 私は機会有る毎にその講演で、「日本は物質的豊かさと引換えに、その歴史も、文化も、日本人の心さえも失った」と主張している。日本人はその伝統的な文化を忘れつつある。私は最近の日本人の行動は「和魂洋才」ではなく「無魂米才」とさえ言っている。

 あの東日本大震災での絶望的な状態の中で、被災者がとった冷静で秩序立った行動に世界が驚いた。世界の人々はその経験から、あの状態では暴動や略奪、パニックが起こっても不思議ではないと考えたに違いない。しかしながら日本人はその様な行動を取らなかった。日本人にとっては当たり前で、日常的には疑問の余地もないその行動が、世界の多くの人達に感動を与えた。歴史を振り返って見ると、先進的文明の利器や都市文明を誇り、野蛮人が住む東洋との認識で居た西洋人が、その東洋の一国、日本を初めて知った時、日本人の精神文化、生活文化の高さに驚いたという記録は多い。たとえば1871年にトロイの遺跡発掘に成功したドイツの考古学者ハインリッヒ・シュリーマンは、その6年前にアジアを旅行し、当時の江戸に3ヶ月間滞在した。その時の旅行記には、道を歩きながら観察できる日本人の生活を見て、花が咲き、きれいに刈り込んだ植木で縁取られた庭を持つ日本の家屋に清潔さを感じ、また鼻水をかむ動作や鼻紙の処理の仕方にさえも優雅さを感じ、「日本人は世界で一番清潔な国民である」などと書き残しているという。日本を愛し日本に帰化したのはラフカディオ・ハーンであり、最近帰化した著名人では古き日本を知るドナルド・キーンがいる。またあのアインシュタインはラフカディオ・ハーンの著作を読んで日本に興味を持ち来日し、1922年12月の日記には「厭味も無く、疑い深くも無く、人を真剣に高く評価する態度が日本人の特色である。これほど純粋な人間の心を持つ人はどこにも居ない。この国を愛し、尊敬すべきである」と書いてあるという。

 自然が恵んでくれた富士山を、先人達が残してくれた数々の歴史的遺産を誇りに思うのも良い。しかしそのような遺産を引き継ぎ今を生きる自分達は、先人達が世界の人達に感動を与えたあの精神文化、生活文化、人間としての誇りを引き継いでいるだろうか?この機会に考えて見ようではないか。

 文明発祥の地といわれる国々に今起こっている混乱、数千年の歴史とその遺産を誇っているものの、周辺国からは必ずしも尊敬されていない国で、現在を生きる人達の言動を見て「吾が振り直せ」と思うものである。

(H25.7.13 記)