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コラム「異見と意見」COLUMN

南米コロンビアを訪問して

昨年12月、私は多くの人達が心配する中でコロンビアを訪問した。豊かになった日本人が世界中至る所で見かけられるようになった現在、誰が何処の国を訪問しようと特に話題にする時代ではないかも知れない。しかしコロンビア訪問は少し違っていた。私の訪問計画を知ると誰もが「なぜ?」「本気か?」と聞く。旅行会社ですら旅行を思い止まるように勧めた。そこでネットを通して外務省の危険情報サイトを覗くと、そこには地域毎に区分した地図付きで「渡航の是非を再考せよ」「渡航の延期をすすめる」という類の警告と共に危険情報があふれていた。

コロンビアは南米大陸の北端、太平洋とカリブ海に接する赤道直下の国。首都ボゴタは標高2,600m、訪問先のブカラマンガはボゴタから双発プロペラ機で北北東に40分、標高1,000mのアンデス山脈の中にある。工業化は遅れ、主な産物は石油、コーヒー、果物、野菜、花などで、日本に比べれば経済的には遥かに貧しい国である。

その為か、反政府ゲリラが横行し、ゲリラに追われて土地を失った農民達が首都圏で貧民化し、一方ではコカインなどの麻薬密輸組織が活発に活動するなどで、爆弾テロ、誘拐、殺人、窃盗等が頻発する危険な国で、政府は治安の維持や麻薬組織壊滅に多くの資金とエネルギーを費やしていると言われている。「そんな国を何故訪問するのか?」と言う友人知人の疑問は尤もかも知れない。

一方当社は、対外的には民間外交による社会貢献、社内的には毎年2回実施している海外体験旅行と合わせた社員の異文化体験の一環として、滞在費や手当てを支給して、毎年海外からインターン学生を受け入れている。当初はアメリカの学生だったが、ふとしたキッカケから、最近では豊かなアメリカではなくコロンビアの学生に切り替えた。その学生達に接している内に、前記のような危険情報に基づく渡航警告に疑問を持つようになった。

そのような時、学生達の帰国報告で当社の経営理念と日本の戦後復興に興味を持った大学が、次期インターン候補生選考面接を兼ねたコロンビア訪問を強く要請して来た。私は戦乱のイラクならともかく、来日した学生達が誇りを持って自国を語るコロンビアに、一方的な判断基準による危険情報を理由にして訪問しないのは失礼では無いかと考えた。そこで入国から出国迄を学生達や大学関係者にエスコートしてもらう対策を取る一方で、家族や一部社員に最悪事態への対応を言い残し、危険を承知の上で訪問を決断し出発した。

現地では学生達とその家族や親類縁者、学長から教授達を含む大学関係者、それにテレビ局やプレスなど、大勢の人達から温かくて盛大な歓迎を受けた。学生達や学長の自宅への招待、教授達との議論や懇談、危険と言われたアンデス山脈の中の山岳ドライブ、市民が憩う公園や夜の繁華街散策とショッピング、更にはスペイン文化と歴史が残る首都や地方の街並み見学など、多くの人達に会い、文化と歴史に触れ、マンゴーやバナナの茂る豊かな自然を、何の危険や不安を感じる事もなく満喫した。

自分勝手に行動せず「郷に入っては郷に従え」「備え有れば憂え無し」の結果であったと思う。一方で、古くなった建物、石畳の街路や広場などには華やかだったスペイン文化の跡や歴史の重さを感じたが、子供達の40%程度しか小学校に通えない貧しさ、同年代の若者のわずか15%程度しか大学へ進学しないにも拘わらず、その殆どが卒業後の就職先を確保できないと言う経済活動の低迷の中で、反政府ゲリラから市民を守ること、麻薬密売組織を撲滅する事の困難さを感じた。

そんな中で明るく必死に生きているコロンビアの人達の生き生きとした表情に比べ、有り余る豊かさの中で生きることの意義さえ見出せず、ネットで仲間を募り自殺したり、NEETと言われる若者達が増えつつある経済大国日本を省みると、恥ずかしさと共に、人間の不可解さを感じない訳には行かなかった。この豊かさのほんの一部でも良いから、あの国の人達の教育や就職支援に分かち与える事は出来ないのだろうかという思いを強くした。

そこで帰国前にこの思いを訪問記に纏め、政府支援の再考を期待して在コロンビア日本大使館に届けると共に、帰国後は当社が中心になって、コロンビア学生就職支援基金設立の為の活動を始めた。

コロンビア訪問は危険を押しての訪問だったが、実に充実した、思い出に残る、価値ある訪問となり、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と言う諺を実感した旅でもあった。

(2005.01.20 記)

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