コラム「異見と意見」COLUMN
“覚える”のではなく“学ぶ”
一般に日本社会では、何事も社会常識や法律・規則通りに、また会社などの組織では上司の指示通りに行動するのがよいと認識されているように思う。本当にそれがよいのだろうか?「当社の常識は一般企業の非常識」と公言するNCKにおいては、この考えは必ずしも良くないと考えている。
発展している社会や組織では、既定の制度や規則を破り(更新し)続けることこそが発展し続けていることの証ではないだろうか?目標達成にあたって上司の指示を超えることこそが、集団やそれを構成する構成員・社員などの成長の証なのではないだろうか?身近なスポーツの世界を見ていると、そのことに気づかせてくれる例は多い。ポピュラーな種目では次々に規則が変更され、新しい規則も生まれ、記録も次々に塗り替えられていく。その進歩、革新の激しい科学技術の世界では、既存の常識や規則の中に留まっていることは、時代遅れ、自滅、あるいは衰退への道を進んでいるようなものとさえ言える。
既存の規則・規格を逸脱することが技術の進歩、発展への道
私が社会に出た1958年当時、製品を設計・製造するには、仕様も使用する構成部品も、日本工業規格(JIS)に則ることが基本だった。入社した日立製作所は、歴史と名声のある、日本を代表する機器製造メーカー。日本工業規格を無視した設計・製造などあってはならないという社会的位置づけにあった。そのような中で私の配属先はコンピュータ開発部門。日本の一般社会では、まだコンピュータという言葉さえ知っている人は極く限られた時代に、日本を代表する機器製造メーカーの、歴史ある工場の中で、これまでの技術を一新するような新技術分野であるコンピュータを開発するというものだった。全く見当もつかない技術開発を伴うコンピュータ開発には、既存の規則や規格にこだわっていては製品開発は進まず、伝統的な規則や発想にこだわる部門から批判されながらも、ほとんどの場合、日本工業規格を逸脱した設計を行い、工業規格にはない特殊な仕様の部品を開発して使用し、機器開発を進めるのが常だった。後で振り返ってみると、その規格を逸脱することこそが技術の進歩、発展そのものだった。
毎日が昨日と同じ、規則通り、上司の指示通りでは、明日に向かった発展はない
さて当社は「当社の常識は一般企業の非常識」と公言する、技術進歩の激しいIT業界に属する会社である。常識そのものが日進月歩といっても過言ではないビジネス社会の中で、常識という過去の遺物に従い、あるいは過去の経験に頼って覚えた知識や技術だけに依存していては、時代遅れ、自滅、衰退の運命をたどるということにもなり兼ねない。毎日が昨日と同じ、会社が決めた既存の規則通り、上司の指示通りでは、明日に向かった発展はないといえよう。経営にも社員にも、そのような認識と危機意識を持つことが期待されている。
それでは具体的にどのように行動すればよいのだろうか?
的確な行動、発展は“なぜ”から始まる
まずは規則の範囲で行動することに満足せず、その規則を改定、逸脱する新たな発想、気づきを加えていくことだ。そのためには規則を無条件に覚え、それに従って忠実に行動するのではなく、その規則が決まった背景、理由、目的、つまり“なぜ”を知ることだ。既存の規則や規定は過去の産物、遺物でさえある。進歩、革新の激しい中では、既に目的達成に不適であるかもしれない。規則という文章を読んだだけでは、その解釈は人によって違うこともある。大切なことは目的を達成することだ。
上司の指示に従って忠実に行動することが常に良いとは言えない。上司といえども人は完全ではない。その指示は上司の能力の範囲内、指示ミスもあろう。言い間違いや舌足らずもあろう。指示を受けた本人の聞き漏らしもあれば、誤解もあろう。結果としてその指示に基づく行動が、上司が意図した目的達成には不十分であるかもしれない。つまりは期待に応えられないということになる。また上司の期待に応えていても、上司の能力の枠の 範囲内、上司の能力を超えるものではない。
このような問題を解決するための基本は人育てにある。過去に設定された規則を覚え、規則規程の範囲内で、あるいは上司の指示に無条件に従って、効率よく、忠実に行動するような社員育てを避けなければならない。別の視点でいうなら、人は誰も、既存の物事を“覚える”のではなく、そこから“学ぶ”、学び取るように努めることが大切だ。覚えるのでは過去の能力の範囲内のことにしかならない。なぜそのようになっているのかを考え、そこから何かを学び取れば、過去の規則や知識、実績に、新たに自分の考えを上乗せすることができる。
発展する社会、発展する組織にあっては、常に既定の常識、規則や法則を逸脱する勢いを維持したいものだと思う。そのための基本は、“歴史に学ぶ”という言葉がある通り、“覚える”のではなく“学ぶ”こと。
(2016.06.12 記)