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コラム「異見と意見」COLUMN

創業30周年に当って

日立製作所の孫会社の位置づけで1984年9月27日に設立(登記)、翌85年4月に操業を開始した当社は、来年3月には創業30周年を迎える。一方で、親会社(日立製作所直系子会社)が当社の2年後に設立した兄弟会社は、その後日立製作所の方針による吸収合併の繰り返しの中で、今ではその影も形もなくなった。私が入社するに当って日立製作所と直接交渉し、自立の道を追求した当社とは違う運命であった。その後の2012年2月、日立グループ所有の当社株式を全て買い戻し、今や全株式を社員が所有する、社員による、社員の為の会社になった。最近では、その独自の経営理念、企業文化がマスコミでも注目されるようになり、一昨年には東京MXテレビの30分番組『企業魂』(http://youtu.be/hMIR4UwVKp8)に取り上げられ、また出版社の幻冬舎の注目するところともなり、昨年9月20日には「いつ倒産しても良い経営」と題した本を出版した。

また当社の経営姿勢や企業文化に注目し、全国の大学や高専の学生達から毎年多くの入社応募を頂く様になり、最近は採用枠の拡大を余儀なくされることも多い。

私の入社時、日立勤務時代の先輩から「大企業の思惑に振り回され、不況が来たら最初に倒産する会社」とアドバイスされた程の会社が、会社寿命30年といわれる中で「当社の常識は一般企業の非常識」と公言し、地方社会の再活性化という大きな夢に挑戦しながら、30周年を迎えられることをこの上なくうれしく思う。苦楽を共にした社員と共に素直に喜ぶと同時に、ご理解と暖かいご指導ご支援を頂いた日立グループ各社ならびに関係者の皆さんに心から感謝したい。

採用した社員は全員一括して親会社に派遣する前提で設立された当社は、バブル経済の中での採用難に苦しむ一方で、社員教育から収益確保までを親会社に全面依存する形で順調に滑り出した。ところが創業後2年、まだ会社の態もなしていない87年7月、30人余の社員を抱えながら創業社長が不治の病に倒れるという緊急事態に見舞われた。そこで、かって日立製作所で一緒に働いたがその後退職して既に15年経ち、当時アメリカで電子部品会社の設立・経営に当っていた私が急遽帰国して入社し、入院闘病中の社長に代って経営実務を一手に引き受けることになった。

その入社2ヵ月後、私がまだ全体状況の把握も出来ていない88年1月、親会社の方針変更で当社への発注が急減し、4月入社予定の内定者多数を抱えて一大事となった。恐れていた取引の一社依存取引体質問題が現実のものになった。そこで、これまで親会社の人員確保要請に応えるのに精一杯で、他社取引拡大への取り組みを差し控えてきた方針を急遽変更し、親会社以外の日立グループ各社への売込みに奔走して取引先の多角化を図った。

そうしてやっと状況把握と取引先多角化が一段落した90年5月、闘病中の初代社長が逝去し、私が第2代社長に就任した。これを機会に入社以来の親会社への全面依存経営を見直し、社是の変更を含めた経営の抜本的改革に取り組んだ。その基本は独自企業文化の創造と経営の自立だった。現在「当社の常識は一般企業の非常識」と公言する企業へ発展するベースとなった独自経営理念の制定、それに基づく新しい企業文化の創造、独自社員教育開始、そして金融、証券などを対象にした大規模プロジェクトへの取り組みからの離脱に努めた。

ところがその直後の91年、破竹の勢いだった日本経済、いわゆるバブル経済が崩壊し、失われた10年、20年といわれる長期経済不況に突入した。各社は厳しい経済環境の中でリストラという名の人員削減を断行し、当社もそのあおりを受けて受注は急減、大勢の余剰人員を抱える大ピンチに直面した。咄嗟に「不況が来たら最初に倒産する会社」と言われた意味を思い出した。取引先の多角化を図ったとはいえ、顧客は全て日立グループという単一グループ。この事態は予想していたものの、新卒社員採用で十分な技術力が育っていない当社には、これまでの間、友人知人が居て理解が得られる日立グループ以外に拡販できる市場は無かった。そこで、この不況による人員余剰を経営改善の為の好機ととらえ、バブル経済の中で蓄積した余裕資金を生かして、社員の再教育、日立グループ以外の顧客開拓、新しいビジネス開拓への方向転換に生かすことにした。

私は、アメリカ社会での企業経営から突然帰国して来た関係で、当時の日本経済の異常、つまりバブル経済であることに帰国早々気付いた。外から見ると内のことが良く見えるものである。多くの日本企業が好業績に浮かれ、安易に融資を受けて規模の拡大に走り、荒稼ぎした利益を湯水のごとく浪費している中で、当社は無借金で実力に応じた経営に徹し、徹底して無駄を省き、利益を節約、積立てて財務基盤強化に努めた。そして91年以降の10年間、その資金を生かして社員教育やビジネス転換に積極的に取り組んだ。それらの中には、メインフレーム時代からパソコン時代へ向けた社員の技術転換教育、テレマーケティング企業への出資支援、アメリカ ユタ州でのモルモン教徒の多言語能力を生かした実験企業設立、シカゴのIT企業に出資しての新規ビジネス開拓など、数々の試みを行った。その一方で海老名開発センターを開設し、自前の企業文化に基づく社員育成の開始、異文化体験の為の社員アメリカ体験旅行制度発足、国際貢献を目的とした外国大学生のインターンシップ開始、日立グループ以外の顧客開拓に積極的に取り組んだ。そして2000年には日本通運やプラス情報システムなどの新しい顧客の開拓に成功した。しかしながらその過程で、バブル経済に浮かれる中で採用した社員の中には、新しい技術への転換について行けず自ら退社する者も続出した。このことは残念なことではあったが、結果的には厳しい不況の中で、自然減での人員縮小に成功することになった。

そのような活動の結果、創業20周年を迎えた05年には、ビジネスの日立依存率は57%にまで下がり、新しい理念に基づく企業文化の確立と良き社会人としての社員育成は一段落した。そこで私は06年に若い生え抜き社員達に経営を一任、その経過を見守ることにした。それから8年、この30周年を迎えるようになった最近では、当社の経営理念やそれに基づく経営姿勢が、マスコミや出版社に注目されることになった。

しかしながら時間の経過につれ、共有すべき価値観や理念への理解が薄れてきていると感じることが多い。そこで当社経営の基本事項をここに総括し、社員一同で再認識した上で、次の30年に向けた新たな出発をしたいと思う。

1.当社の経営姿勢

「企業と社会の関係は Give&Take」。これは企業としての当社の基本姿勢である。同時に「企業は最高、最強の社会人教育機関」。これが企業に対する当社の認識。当社は「社会を一方的に利用して利益さえ上げ、栄えれば良い」という経営では無く、「何らかの形でこの社会の維持発展に貢献する一方で、その社会の恩恵を受けて会社経営をさせていただく」という姿勢である。一方で、人はその環境によって教育される。社員が起きている時間の大部分を過ごす職場は、経営方針やそれを推進する人達の上下関係を通じて、無意識の内に社員は企業文化の影響を受ける。そのような意識、認識を持って経営に当たる覚悟である。

2.目指す経営

資本主義の申し子として、企業が利益や企業規模の拡大を目指すのは当然かと思うが、当社は次のような経営を目指す。

会社が倒産するのは、社会がその会社を必要としないか、経営が下手だということである。つまり倒産とは経済社会からの引退要請である。そんな会社は悪いことをしてまで生き残るより、早々に倒産するのが社会貢献といえる。人間もいずれ死ぬように、企業もいずれ倒産すると考えた方が良い。大切なことは生きながらえることではなく、生きている時、元気な時に何をするのかということである。一方で倒産は社員を路頭に迷わせるかもしれない。従って、いつ倒産しても社員が困らないように、日常的に社員を企業戦士、つまり会社利益の為だけに働く指示待ち、使われ人間では無く、どこの会社にでも通用する、自立した良き社会人、職業人に育てることである。その結果として利益の獲得や企業規模拡大が実現する。

3.経営理念

新しい時代の経営は、単に営利を求める経営ではなく理念経営の時代である。
当社の経営理念は次の通り。

  1. 社会に役立つ仕事をしよう
  2. 社会に役立つ活動をしよう
  3. 社員と共に良き市民になろう

当社は「儲かりさえすればどんな仕事でもよい」とは考えない。社会が必要としている仕事をして社会に喜ばれ、その結果として利益を上げる経営を目指す。社会に喜ばれる仕事をしている限り、社会から引退を要請されることはない。一方で、営利活動だけが企業活動ではないとの考えの下、営利活動とは別に社会に役立つ活動にも取り組む。先ずは障害者の雇用、続いて国際貢献を目的として、6ヶ月間の滞在費を全額負担した外国大学生へのインターンシップ提供、そして今、荒廃する地方社会の再活性化を目的に、地方出身者の優先雇用と、一人前に育成した後にUターンさせ、インターネットを通じて働くことで若者の居る地方社会の実現に取り組んでいる。そのような理念を実現するのは社員である。社員を私物化して自社利益の為だけに働く企業戦士にするのではなく、企業市民としての会社と共に、社員も良き市民に育てることを目指す。

4.日常的行動指針

その経営理念実現の為、日常的に行動すべき基準を次のように定めている。

昔から、「人間一生勉強」と聞かされてきた。利益は社員育ての結果であると考える当社では、社員はただ「上司の指示に従って与えられた業務の処理さえすれば良い」というのではなく、「仕事を教材として自己成長すること」が要求される。そのため既に経験し、慣れた、今知っていることより、まだ経験したことも知識もないことに、失敗を恐れず積極的に挑戦することを期待している。その結果として失敗しても、それを隠したり、誤魔化したり、他人のせいにするのではなく、その失敗を自ら公表したり、上司はその失敗を社員の前で実例として紹介しても良いことにしている。失敗を無駄にするのではなく、社員批判を目的にするのではなく、他の社員への教材として活かすべきで、失敗した社員は他の社員に学ぶ教材を提供していることになる。一方で、当社は成果主義を採用しないので、失敗したからと言って、そのことで社員評価を不利にすることはない。むしろ困難な課題に積極的に挑戦し、失敗を正直に公表し、他の社員の勉強に供するその誠実さこそ評価されてよいと考えている。

5.当社運営の特徴

「当社の常識は一般企業の非常識」と公言し、社員育てを優先する当社には、その運営にいろいろな特徴がある。その一部を紹介しよう。

30年後、創業60周年を迎える時には、日本全国、さらには外国にも住む当社社員が、インターネットで繋がり、支援し合って働き、その結果活気ある故郷、地方社会を実現していたいものだと思う。希望と夢を持って再出発しよう。

(2014.09.27 記)

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