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コラム「異見と意見」COLUMN

和魂を忘れた洋才

人間に寿命があるのと同様に、会社にも寿命がある。また会社の寿命は努力によって延命を計ることも出来る。しかしながら大切な事は、その寿命の長さではなく、生きている内に、元気な内に、社会や人類に対して何を成すかということではないだろうか?社会の恩恵を被ることにより生き、活動する一方で、何らかの形で社会の為に役立つ活動、貢献をすることが大切であろう。しかしその活動、貢献は、他人との内容比較やその大小よりも、自分の出来ること、自分の能力に応じて貢献しようという認識の有無、意欲の大小が大切だと思う。そういう人達や企業の存在の多少が、社会の健全性を左右するものと思う。

これまで健全で豊かだと思っていた日本社会は、バブル経済崩壊と同時に、日本を代表する企業から、予想もしなかった問題、不祥事が次々と顕在化し、あれから10年以上経った今年になっても、収束するどころか、さらに悪質と思える不祥事が続出している。自動車の欠陥隠し、原子力発電設備の安全無視、銀行の組織的隠蔽工作、株式売買に係る不正などの民間企業だけでなく、全国の警察や厚生労働省の不明朗な金銭処理、社会保険庁の公金の流用、国会議員の金銭処理など、不正不祥事のない組織や団体を見つける方が難しい状況である。こういう環境が、その組織、団体に所属し、その影響下で生きる人達に質的影響を与えないはずはない。

他人の事には無関心、あるいは他人を無視して自分さえ良ければという人達が増え、手段を選ばずお金に群がり、その額の大小で人の価値を計る社会風潮となり、オレオレ詐欺という異常な事件に驚いていたら、災害義援金の募金活動を悪用するという悪質な詐欺まで頻発するようになった。謙虚さを重んじ、お金への執着をいやしいと考え、礼節と思いやりを大切にしていた日本人は、一体どこに行ったのだろうか?

日本は東洋の小さな島国でありながら、日本人としての精神を大切にする一方で、中国だけでなく遠く西洋からも新しい知識や技術を積極的に導入し、それを日本文化の中に見事に取り入れて消化、改良し、日本の発展に役立てて来た。日本人の柔軟さと勤勉さが、遣唐使の時代でも遣欧使節団の時代でも、また長い鎖国から目覚めて以来第二次世界大戦で敗戦するまでの目覚しい近代化と発展の時代も、日本が世界に一目おかれる源泉であったといえる。つまり戦前までの日本人は、和魂漢才、和魂洋才といわれるように日本人としての心、魂を持った上で、外来文化を取り入れ消化して来たといえる。

しかしながら第二次世界大戦で敗戦国となった日本は、民族としての心も誇りも、自信も失い、過去の価値観を全て否定し、アメリカの価値観に基づいた新しい国造りから始めざるを得なかった。

しかし比較的短期間に独立、自立の環境を得て、世界も驚く経済的復興を達成したにも関わらず、日本人の心を取り戻すことを忘れ、西洋文化、文明を真似るという安易な道を走り続けた。西洋の、アメリカの真似をする事が進歩的であるかのような誤解をしてしまった。

そして田舎成金といわれようとも、心よりもお金持ちになることを追いかけ、「隣りは何をする人ぞ」といわれるような他人への無関心が進み、ついには他人を犠牲にしてまでも自分の欲望を満たすという社会になってしまった。これは和魂を忘れた洋才の真似文化といえよう。日本人は心のより所を見失い、その事が物質的豊かさとは反対に日本人の心を貧しくしているといえる。真似はどこまでも真似に過ぎない。日本人の心と誇りを失わないようにしたい。

創業して20年、先進国といわれるようになって設立された当社は、和魂を忘れ、本質も理解しないで、西洋文化の表面的真似だけで運営されるような会社になってはならない。当社が「売上高の拡大よりも良き社会人としての社員育てを」「生き残る経営ではなく、いつ倒産しても良い会社育てを」目指す経営に拘る理由はここにある。他流試合の出来る社員育てを通じて、会社が元気な時に、株主に、顧客に、そして社会に対して喜んでいただけるサービスの提供ができる会社を目指したい。社員には当社で働きながら日本人の心を持ち、他人の痛みの分かる、思いやりの心のある良き社会人に育って欲しいと考えている。

そんな考えの下、今回、新潟中越地震に当り、社員による募金活動を行った。その結果集まった募金額に会社からの支援金を加え、社員募金金額を10倍にして社員一同の名目で義援金を送った。

(2004.11.25 記)

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