NCK株式会社
日本コンピュータ開発

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コラム「異見と意見」COLUMN

「実験企業日本コンピュータ開発」

(社)科学技術と経済の会「技術と経済」2004年10月号より

はじめに

当社は、日頃から多少でも当社を知る方々から、当社の経営姿勢「社会と企業はGive&Takeの関係であるべきである」、また当社の経営の考え方「生き残る経営ではなく、いつ倒産しても良い企業経営を目指す」が新鮮で、実験企業のようだと言われる事が多い。

私は企業経営とは知識やテクニックで出来るものではなく、経営者の生き方そのものの表現、したがってオンリーワンだと思っている。そこには絶対に正しい答などというものはなく、答は無数であったり全く無い事さえある。そのような中から、経営者自らが答を見出し、選択し、決断し、そこに答が無ければ、自ら創造するしかない。つまり経営は経営者の生き方そのもの、人真似ではなく創造であると考えている。

さて、私は、「リスクの無い仕事には取り組む価値が無いし、差し障りの無い話にも聞く価値が無い」などと日頃から公言している人間である。 このような観点から、先ずは当社経営の基本となる私の人生体験を、次にそれに基づいて経営している日本コンピュータ開発という会社についてお話させて頂きたい。

64年を生きた。その時、その時が学びの連続

私は、現在、創業19年のメーカー系ソフトウェア会社の代表と共に米国ミネソタ州政府貿易局駐日代表も務めている。ミネソタ州に最初に日本の製造工場を建てた日本人という事が理由らしい。いずれも、社会に出る時には予想もしていなかった事である。

私は九州大分県の出身。10人兄弟姉妹の9番目、貧農の三男として育った。昭和21年、戦後最初の新生小学校入学一期生、県立工業高校卒業と同時に上京、大手総合電機メーカーに就職し、大型コンピュータの開発設計部門に配属されたのが社会人としての第一歩であった。

そんな中、幸運にも社員教育に熱心なこの企業が開校した工業高専に一期生として入学、さらに修了後かって憧れていた日本を代表する国立大学に国内留学を果たし、給与も賞与も頂きながら勉強できるという極めて恵まれた機会を与えられた。職場復帰後は、アメリカとの技術提携による新コンピュータシリーズの国産化業務で夜昼の区別も無いほどに働いたが、これまで会社が与えてくれた勉強機会の恩に応えるべく、全力で、無我夢中で働き、苦しさなど感ずる暇はなかった。

間もなく結婚し、初の子として期待のうちに誕生した長女は2重障害児。仕事に追われる日々の中で数々の厳しい初体験に直面したが、その子が居たからこそ体験できた事、人間として学んだ事は多く、また人の輪も広がった。

その後、ドルショックによる経済低迷が続くある日、突然工場長から呼び出され、京都に本社のある取引先中小企業の社長が私を名指しで幹部として招聘したい由。理想に燃えるこの会社の社長を私も尊敬しており、かって直接誘いを受けた事もあるが、私を育ててくれた会社を蹴って転職する事は出来ないと断った経緯がある。

しかし今、巨額の銀行借金と赤字続きという経営ピンチに直面し、工場長を通しての要請である。私は現在の会社に不満はないだけでなく極めて恵まれた処遇に感謝していた。しかし会社さえ許してくれるならその企業の発展のためにチャレンジしてみたいと答えた。その結果「倒産したら戻って来い」という暖かい励ましの中、出向扱いで経営支援に行くことが決まった。その後一年で業績は改善に向かい、私は製造担当役員になった。私は、「会社の役員になってまで、自分だけが倒産時の逃げ場所を確保しておくのは社員に対して申し訳無い」と考え、その時点で15年間お世話になった総合電機メーカーを退職した。初めての、運命に従っての転職であった。

水と空気の綺麗な愛知県の山奥にある主力工場工場長として赴任した私は、企業文化の違いに悪戦苦闘しながらも、組織改革と人材育成、中でも中間管理層の育成を図りながら生産性向上に努める一方で、障害を抱えた娘を受け入れ指導してくれている障害者施設ならびに社会への感謝の気持ちから、心身障害者、特に重度肢体不自由者の雇用促進と指導・支援に努めた。その一環として、全体に占める肢体不自由就労者比率が20%を超える職場を育て上げ、彼らと共に働き過ごした日々は、私に多くの事を教えてくれた。

製造を担当した6年間で生産性を10倍にまで高め、経営状態が安定した頃、会社のさらなる発展を目指してアメリカへの企業進出が決まった。その担当者として、知識も経験も無いばかりか、英語は苦手で全く英会話の出来ない私が指名された。渡米当日のホテルの予約も無い中、知人も友人も居ないミネアポリスに降り立ち、たった一人で這いずり回るようにしてスタートしたアメリカ生活第一歩から通算6年に亘る悪戦苦闘の日々。その間逃げ出す術も知らず、多くの初体験、難問とただ夢中で取り組み、ふと振り返ってみると、会社設立から顧客開拓、工場建設から競争力のある商品開発まで、当初予定以上の成果がそこに積み上がっていた。(このアメリカ体験については本誌435号に詳しい)

そして、アメリカ滞在が通算で6年ほど経過したある日、かってお世話になった総合電機メーカーの幹部で私の上司であった方から、早期帰国を促す電話が入った。取り急ぎ帰国し連絡を取ってみると、かって勤めていた総合電機メーカー系ソフトウェア会社の創業社長が癌で入院しているという。この方はかっての職場の先輩である。早速翌朝見舞いに行くと、手術が終わってやっと口がきける状態の社長がベッドの下から取り出した遺言状には、「この会社を自分に代わって経営して欲しい」と書いてある。

それに先立つ半年前、アメリカでの生活もビジネスも軌道に乗った頃、勤務先の日本本社では、経営方針を巡って創業社長と創業メンバーとの間で内紛が起っていた。私は転職時の約束では将来社長を任される事になっていた。

しかし私自身は役職にはあまり興味が無い。そして今、内紛が起こっているこの会社で、外部から来た私が後継者になる事はもっと問題を複雑にする。そこで私は、この会社の企業年金制度の受給資格が得られる50歳になった時点で退社し、故郷に帰り、障害を持つ長女に適した田舎での生活に切り替えるための準備を進めていた。

ところが、私の退職の意向を知った先輩方が再就職先を心配され、このソフトウェア会社への入社話を進めていたのである。明日の命さえ分からない人を前にしてNOとは言えない。かって社会人としての私の基礎を創ってくれた会社の子会社。お世話になった方々のご配慮による会社。またかっての恩返しと緊急事態に対する一時的なピンチヒッターのつもりで、私はその場で入社して手伝う事を決めた。それが第二の転職となった。

体験を実践へ ―実験企業 日本コンピュータ開発

当社は総合電機メーカーの子会社として設立された、いわゆるメーカー系ソフトウェア会社である。入社して分かった事だが、日本における多くの系列会社は、独自の企業理念などは無く、親会社の指導と模倣で運営される、いわゆる金太郎飴型経営である場合が多い。この創業して2年半、社員数30人余の会社もそういう会社の一つ。しかし、私にはあのアメリカでの体験から、「これからは個性化の時代。売上・利益至上主義経営ではなく、経営に明確な理念を持った理念経営の時代。これまでとは違う新しい社会では、企業にも新しいコンセプトが必要である」という考えがある。

(1)目指すべき経営の方向

先ずはどんな経営を目指すのかを次のように定めた。

日本は世界第二位の経済大国になって久しい。世界一のアメリカと第二位の日本の二国だけで世界経済の40%を超える規模を占めるようになった今もなお、さらなる経済的規模の拡大に走る必要があるのだろうか? 規模の拡大はそろそろ後進国に譲り、先進国は規模より経営の質、生活の質などの経済社会の質的向上に尽力すべきであろう。

そこで当社では売上規模の拡大を目標とはせず、社員は予算も売上目標も知らない。社員を、予算という数値目標達成に追い立て、時には社会のルールを乱してまでも自社利益に奔走するいわゆる企業戦士に育てるのではなく、仕事を通じて、仕事を教材として、社会と、また企業との間で、Give&Takeの出来る良き社会人を育てることが経営の最重要課題である。社員が成長すれば売上高も上がる。売上高は目的ではなく結果でしかない。

一方で、企業が倒産して困るのは、株主、社員、そして顧客であろう。ところが企業が一旦経営危機に陥ると、社会や顧客を騙し、法律を破ってまでも利益確保に走り、社員を一方的に解雇し、株主に大損害を与えてまで生き残ろうとする例が多い。そんな事までして生き残る必要が有るのだろうか? 倒産とは企業が経済社会から引退を要求されているという事であり、そのような場合は倒産する事こそが社会貢献ではないだろうか?

人間でもいつかは死ぬ。大切な事はいつまでも生き長らえる事ではなく、生きている間に何をするかである。企業でも同じ。企業が元気な時に、株主にはその投資額以上の奉仕をし、顧客にはより良いサービスを提供して満足して頂き、そして社員には指示待ち会社依存体質ではなく、何時でも何処ででも働ける、他流試合の出来る自立した社員に成長出来る環境を提供し、また指導育成すべきであろう。このため当社は、株式は公開せず、株主には可能な限り額面での投資をお願いし、一方でこの精神を社員に徹底するために、企業姿勢を明らかにすると共に、三つの経営理念と二つの日常的行動指針を定めている。

(2)企業としての基本姿勢

企業業績が良いのは経営者の手腕によると言われるが、私は最も重要な要素は、そこに安心して企業活動を展開できる良い社会が有るからだと考えている。したがって企業は、社会からの恩恵を一方的に受けて自己利益を追求するばかりではなく、良質な社会を育成、維持、発展させるために、何らかの形で貢献すべきであると考えている。つまり、企業と社会との基本的関係はGive&Takeであるべきだというのが当社の基本姿勢である。

(3)三つの経営理念

そのような経営の方向と基本姿勢の下、当社は、

  1. 「社会に役立つ仕事をしよう」
  2. 「社会に役立つ活動をしよう」
  3. 「社員も会社も良き社会人になろう」

の三つを経営理念として定めている。

経営理念は、企業が営利団体として社会に存在するための基本的要件だと考えるが、「儲かりさえすれば何でも良いというビジネスはしない」という意思表示でもある。最近の日本には「利益を出している会社は良い会社」との風潮があるが、当社は「白い猫でも黒い猫でもネズミを取る猫は良い猫だ」という某国最高責任者の言葉にも似たこの考えには賛同しない。

経営理念は、「企業が営利活動をするのは当り前の事だが、それだけが企業活動の全てではないだろう」という問題提起である。当社は、営利活動以外の面でも社会に役立つ活動を行う事を、社会の一員、即ち企業市民としての重要課題であると考えている。その活動の大小よりその精神のあり方が、良き社会人育てにとって大切だと考えている。

その一例として、10年以内に肢体不自由の方達が働ける専門職場を作ることを社員に呼びかけている。私はかって勤めた電子部品製造会社の工場長時代に、徹底して重度障害者と言われる方々を採用し、6年間その指導にあたった事があるが、それに比べればインターネット時代の到来で、技術力を身につけ、キーボードさえ使えれば在宅勤務が可能なソフトウェア関連業務は、肢体に障害のある人達にとって極めて取り組みやすいものである。

その他の例としては、バブル経済崩壊後も、毎年外国の大学生をインターンとして受け入れている。これは将来その国を担うかもしれない若い人達に、日本の職場で働き、日本社会での生活体験を通じて、日本への理解を深めてもらう機会を提供すると同時に、社員には日常的に異文化へ触れる機会を与えるものである。小さな民間外交とも言える。

経営理念は、当社の経営理念の全てを総括する最も重要なものである。企業であれ社会であれ、その質を決めるのは人である。企業はその活動の中で、知らず知らずの内に社員の考えや行動に大きな影響を与えている。つまり企業は大変な社会人教育機関である。経営者はそのような認識を持って経営に当たるべきであり、その組織を通じて、時には社会ルールを乱してまでも自社利益を図るような、いわゆる企業戦士に社員を育てるのではなく、日常活動においても良き社会の維持発展のために貢献できる、自立した、即ち社会との間でGive&Takeの出来る良き社会人育てに努めるべきであると考えている。

(4)二つの日常的行動指針

経営理念に沿った活動と社員育成を日常活動の中で行うための環境作りとして、・「本音で語ろう。本音で語れる社風を育てよう」、・「仕事の出来高ばかりでなく、誠意や努力も合わせて社員の評価をしよう」という行動指針を定めている。

行動指針に関して、当社には先ず失敗を管理する閻魔帳がない。つまり社員の失敗を管理し、それによって給与や賞与の査定をする考えはない。だから仕事での失敗を誤魔化す事も、他人のせいにする事も、隠す必要もない。人は失敗を通じて成長する。失敗は隠すより表面化させる事で良き教材にもなる。社内に秘密を作らず、責任逃れにエネルギーを費やす事もない。これを通じて不正の潜在化を防ぎ、チャレンジする行動を喚起し、個性や潜在的能力の発揮や向上を図っている。

行動指針は、「社員は仕事をするために出社する。だから仕事が出来ないのは困る。しかしながら仕事さえ出来れば良いというものではない」と考え、成果主義が流行りの最近のビジネス社会とは異なる当社の評価の原則を示している。他人の足を引っ張ったり、顧客を困らせてまで、自分の業績を上げようという、自分さえ良ければという風潮が、社会を、人間をだめにする。

当社では行動指針の失敗管理をしない事と同じく、査定のために個人単位、グループ単位の売上高や利益額の管理はしない。効率が悪くても行わなければならない仕事もあり、それを担当してくれる人も貴重な社員の一人である。オリンピックの精神と同じく、他人との比較ではなく、自分の努力や誠意を伴った自己成長とその成果の表現に着目している。

(5)会社運営に当たって

以上のような経営の目指す方向、経営の基本姿勢、そして経営理念と行動指針の下で、実務的には次のような考え、目標に沿って運営を行っている。

一方で、日本人は大学を卒業しても、一人前の職業人に育て上げるには長い年月と指導を必要とする。その他人が育てた人材を、自己の利益のために相手への迷惑も考えず引き抜いてまでして売上高を上げたいとは思わない。効率の悪い下手な経営と言われようとも、当社は新卒のみの採用で、必要な人材は自分で育てることを基本姿勢としている。

また、企業は売上目標、利益目標に基づく予算を作成し、その数字達成のために社員を叱咤激励し営利活動を行うのが常である。しかし、その事が数値至上主義を生み、混乱を引き起す原因ともなる。業績の前に先ずは人育てを行うべきだと考える。利益は後からついてくる。数値は社員成長の結果であり、予算は社員の成長の進捗状況を見るための羅針盤であると考える。

当社の社員育ては単なる業務処理能力育成ではなく、自立の出来る社員育てを目論んでいる。大学を出てもなお、他人に依存しなければ勉強できないというのではなく、学校を卒業したら、それからの勉強は自主的に自ら行うように習慣づける事が必要である。会社は仕事をする場であると同時に自己成長の場。会社は教材としての仕事とその実践の場を提供するところ。仕事の過程で遭遇する様々な問題の解決に積極的に取り組む事を通じて、社員は生き方も含めて成長していくものである。

したがって、当社は働く環境や労働条件を、社員が満足するレベルにまで十分に整備しようとは考えない。致命傷となってはならないが、社員が不足を感じ、その解決にチャレンジできる材料となる程度の問題まで無くしてはならないと考えている。当社ではこれを70%経営と呼んでいる。

製造現場で最近セル方式という生産法が注目されている。当社は受注活動からその完成まですべて自力で対応できる社員育成を前提に、自分の仕事は自分で受注し、その案件に適した技術を自ら選び出し、その案件に適した開発を行える技術者の育成に力を入れている。

組織運営については、古くはピラミッド型組織で上司と部下という関係で業務を進める事が当り前であった。当社では、組織をフラットにして情報パスを短くする事で情報の流れのスピードを確保し、横の連携を強化して、お互いの持つ能力、特長を結集し、緊密な協力関係により、抜かりの無い面体制作りを目論んでいる。

世の中には、この変化の激しい時代になってもなお、40年、50年前の決定をそのままに実行しているものが多い。当社は過去に決定した事項でも、行動時点で目的と背景を再確認して、環境に変化があった場合は、勇気を持って中止なり、見なおしなりを行う事を基本としている。決まっているから行動するのではなく、必要だから行動するという考え方である。

無借金、そして無補助金。当社は自分の能力に応じて社会に役立つ仕事をしたいと考えている。自己能力を超えて他人に依存すると他人の許可が必要になり、行動も決断も他からの制約を受ける。自己主張を大切にするには、他人に依存しない事が一番である。したがって苦しくても自分の実力の範囲内で運営する事にこだわっている。

終わりに

日本経済が長期低迷を続け、日本(企業)の競争力低下が懸念されるという話を度々聞かされるが、それは日本の技術力が比較低下したという事だろうか? 外国のそれに対して遅れているという事だろうか? その解決のために、技術者教育に力を入れれば良いという事だろうか?私は一昨年、ミネソタ州日米協会の依頼で「日本の長期経済不況について」というテーマで講演をする事になった。

そこで私は「日本は経済不況ではなく人材不況。日本には1,400兆円ものお金が居眠りをし、世界トップクラスの技術力とインフラがあり、忠実に働く上質の労働者がいる。即ち経済を元気にするための主要エレメントは全て揃っている。これほど条件の揃っている国が他にあるだろうか? 問題は、最近の日本にはこれだけ恵まれた条件を活かすことの出来るマネージャーが居ないことである。その事が経済の低迷を引き起している。つまり人材不況である」と話し、大変な反響があった。

唐津一先生は「日本経済が長期低迷しているとはいえ、日本の極めて優れた高い技術力は今でもアメリカにとっては脅威であり、さらに日本には行動の速さという有利さもある」と、本研究会開始に当たって話された。技術力に関しては全く同感であるが、行動の速さについては疑問が多いと私は思う。

日本には責任を持って、必要なタイミングで決断を下す人が居ない。つまり結論を出す、あるいは決定を下すのが遅過ぎる。速いのは、誰かが結論を、決定を下した後からの行動だけである。かって、十年一昔と言われた時代には、決定の遅れを技術力の高さとチームワークで取り戻すことが出来た。しかし今はドッグイヤーあるいはマウスイヤーと言われる極めて変化の速い時代である。決定の遅さは致命傷となる。

技術教育に力を入れ、高度知識や技術を身につけた人材を養成したところで、その優れた技術者が力を発揮できる場や機会を創り出すことの出来るマネージャーが居なければ、その知識も技術も競争力には結びつかない。知識も技術も、それを実際に活用し、壁にぶつかるところから発展し成長する。経済も技術競争力も、つまるところはマネージメントの問題と言える。

今、来年大学を卒業する学生達の就職活動が始まっている。多くの大企業は、相変わらず一流と言われる大学の、成績優秀な学生の採用にこだわっている。一方で、そう言われる企業からリストラという名目で整理された人達の経歴を見ると、60%以上の人達は、中小企業にとってはよだれが出るほど光り輝くブランドの持ち主だと言われている。

このような大企業は、日本中から優秀と言われる学生達を一網打尽(?)に集めておきながら、その能力を活かし切れず、育成するでもなく、消耗させてしまった後で、吐き出すように処分している。これは大変な人材の無駄使い、国家的な損失である。人材を欲しがるだけでそれを活かせない、宝の持ち腐れとも言える現象は、某プロ野球チームにも似た現象である。この状況を見る限り「日本の大企業が、貴重な日本の人材を駄目にしている」と言わざるを得ない。

日本経済が再び輝くために、技術競争力をつけるために、日本が今やるべき事は、時間ばかりかけてなかなか結論も出ない対策会議で議論を繰り返す事ではない。目先の成績にこだわり、リスクを恐れ、何も決断しない経営者、誰かが決め指示した内容を忠実に守るだけの管理者という「管理作業者」を、一日も速く経営の中心から外し、無限の答の中から、自らリスクを取って答を見つけ出し、あるいは創造し、タイミング良く決断し、リスクに対して勇気を持ってチャレンジする、そういうマネージメントの出来る人材をしかるべき立場に据える事である。

一方で、確実に存在するたった一つの答を見つけるのが上手な受験秀才の育成から、無限の広がりの中に自分なりの明かりを見出すことの出来る、チャレンジする勇気を持った人材育てに努める事である。

(たかせ たくお)

《参考文献》
高瀬拓士‥「成果は後からついてくる」技術と経済 第435号pp36-43(2003)
*日本コンピュータ開発 http://www.nck-tky.co.jp/
※尚、本稿は2004年3月10日開催の「技術競争戦略研究会(第6回)」での講演内容を、要約・取り纏めたものです。
*本稿のお問い合わせは、競争戦略研究会事務局 小端まで

(2004.10.01 記)

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