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コラム「異見と意見」COLUMN

ロータリー精神への期待

バブル経済崩壊以来長い不況が続いた。そんな中で2年前のある日、私は米国ミネソタ州日米協会で「長期低迷する日本の経済不況について」と云うテーマで講演することになった。私は日頃の考えに基づき、実例をあげながら次のような話をした。

「日本には1,400兆円もの個人金融資産が居眠りし、アメリカにも負けない世界トップクラスの技術力とインフラが有り、さらに良質な労働者が居る。つまり経済を元気にする為の重要エレメントは全てある。これだけ好条件が揃った国が世界の何処にあろうか?それなのに経済は低迷している。これは経済不況ではなく人材不況。これだけ揃った条件を活かすことが出来る人材が不足しているだけの事。経済は結果でしかない。」
この講演は大変な反響を呼んだ。

一方、最近の日本では凶悪事件犯の低年齢化が進み、昔から良く言われる「近頃の若い者は・・・」と云う言葉がますます声高に聞こえてきそうな状況である。果して近頃の若者達の方が昔のそれに比べて異常なのであろうか?

私はいつの世も若者達は正常だと思う。昔から「子供は親の背中を見て育つ」と言われてきた。今の子供達が昔と違うと言うなら、それは背中を見せている大人達が昔と違うと云う事ではないだろうか? 見せるべき背中を持った大人達が居なくなったとも言えよう。今や先輩は先輩らしくなく、上司は上司らしくなく、経営者は社会を乱してまでも自社の業績向上にひた走り、親でさえ親らしく無くなった。社会への関心は薄れ、他人を思いやることなくただ自己の物質的豊かさを求め、金の多少だけで人の価値を図る、自己中心的な行動が当り前。

政治家、官僚、教育者、企業経営者など、社会にとって規範となるべき者達による、無責任、不正、不道徳、強欲な利益至上主義的行動など、社会には不祥事、悪徳商品、悪徳書籍等が氾濫し、子供達には目を向ける場所も無い。戦後の発展の過程での歪とも云えるこれらの問題は、好調な経済に浮かれていた時には気付かなかったものの、バブル経済崩壊を機に次々と顕在化している。一体子供達は何を見習ったら良いのか?

社会を他人事のように脇から見て批判するだけで、自らも当事者の一人である事を忘れている人は多い。問題に対して真正面から向き合い、その解決の為に自ら取組もうと云う大人は居ない。日本人とはこんな民族だったのだろうか?

1)「経済大国とは何なのか?」
世界第2の経済大国となり、Japan as No.1 という本に代表されるような、今や外国に学ぶものは無いとうぬぼれる日本の勢いに押されて、経済的にすっかり自信を無くしていたアメリカ。しかし日本を離れて、アメリカから日本社会を眺めて見ると、そこには溝ネズミスタイル、脂汗まみれ、混雑する通勤や週末のレジャー、クタクタに疲れながら売上だ、予算だと深残業し、一方ではグルメだ、ブランド品だと目の色を変え、物質的豊かさを求めてひた走る日本人の姿が見える。一方のアメリカでは、フレックス勤務で早々と帰宅し、学校から帰った子供達と一緒に手入れする広い芝生や花壇のある庭、豊かな街路樹、緑と空間あふれる公園、入場無料の美術館、そして自然が一杯の郊外など、金銭的ではないが、精神的には遥かに豊かな生活をしている。日本は経済大国になって何を得たのか?

2)「ニュースは事実よりも奇なり」
ニュースからは、凶悪犯罪が頻発する危険な銃社会アメリカが浮かぶ。しかしそこに住み、地域の人達と接して感じるアメリカ社会は、親切で思いやりのある、開放感一杯の明るい社会。非日常的な事だけを拾い上げて伝えるニュースは、それ自体は事実でも、決して全体を表わしては居ない。

3)子供の頃「日本人は礼儀正しく親切な国民」と聞きながら成長した。しかしアメリカ人の親切、礼儀のあり方に接して疑問が湧いた。日本人の親切は本物か?紐付き親切ではないか?一旦お世話になると、その時のお礼だけでは済まない。「恩知らず」と云われないような注意が肝要だ。うかつにも手土産を忘れて訪問すると、’人格’を疑われるかもしれない。

このふがいない日本経済、事件の凶悪化と犯人の低年齢化、他人や社会に対する思いやりの無さや無関心さ、それでいて社会や組織への依存心の強い日本人。

私達は、戦後の荒廃から立ち上がる過程で、日本人の心を一時的に脇に置き、先ずは物質的豊かさを求めて努力し、夢中に走って来たのではなかったのか?その結果、世界も驚く脅威的なスピードで発展を遂げ、今や世界第2の経済大国、世界有数の豊かな社会を手に入れた。しかしながら一時的に脇に置いたはずの、あの日本人の心を思い出す事は無く、未だ物金にこだわった行動に夢中になっている。今こそ日本人の原点に返り、礼儀正しい、親切で思いやりのある、本来の日本人の心を取り戻す時ではないか?

そういう思いの下に私は今(株)日本コンピュータ開発を経営している。私はこの会社の経営を通じて社会の為に役立ちたい考えている。企業は最大、最高の社会人教育機関だとも考えている。そして売上高の追求よりも社員育て、生き残る経営よりもいつ倒産しても良い会社育てを目指している。その経営理念と日常的な行動指針は次の通り。

経営理念

  1. 社会に役立つ仕事をしよう。 (儲かりさえすれば何でもやると言う行動はしない)
  2. 社会に役立つ活動をしよう。 (営利活動だけが企業活動ではない)
  3. 社員も会社も良き市民になろう。 (企業戦士育てでは無く、良き社会人育てを)

日常的行動指針

  • 1)本音で語ろう。本音で語れる社風を育てよう。
  • 2)仕事の出来高ばかりではなく、努力や誠意も評価しよう。

私は今日、生まれて初めて日本のロータリークラブの集まりに参加させて頂いた。しかし、私の生き方、現在のこの思いは、ロータリークラブから頂いたもののような気がする。

私は今から46年以上前の高校卒業式で、それまで名前すら知らなかったロータリークラブから表彰された。その表彰状には次のように書かれていた。

【貴方は「自己を超越した奉仕(Service above the self )」と言うロータリーの精神に適うのでここに表彰する】

ロータリークラブ 表彰状

私はそんな事を考えた事も無かった。しかしこの表彰の趣旨は社会人として、人間として何が大切かを私に気付かせ、その後の私の生き方に常について廻ったように思う。

私は会社も個人も、社会との間でGive & Take の関係を大切すべきだと思っている。

会社が元気で運営できるのは、経営者が優れていると言う前に、そこに健全な社会があるからであろう。その社会の恩恵を一方的にうけるばかりでなく、自らもその健全な社会の維持、発展に貢献すべきであろう。そこに健全な社会があるからこそ会社も安定した運営が出来る。

私は、何かの為、誰かの為に役立ちたいと思う。他人を押しのけてまで自分が喜びたいとは思わない。私は誰かに喜んでもらった結果として自分も喜ぶ、そんな生き方をしたい。「自分の行為によって他人に喜んでもらい、その結果としてして自分が喜べる、そんな贅沢な生き方が他にあるだろうか?」

「自己を超越した奉仕」これが本当にロータリーの精神なのかどうか私は知らない。しかしすばらしい言葉だと思う。これが言葉だけでなく、人々の心の中に浸透し、行動の中に現れる社会の到来をせつに願うものである。

(2004.09.08 記)

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