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コラム「異見と意見」COLUMN

スペシャルオリンピックスがやって来る!

2005年2月、あの冬季オリンピックが行われた長野にスペシャルオリンピックスがやって来ます。

“スペシャルオリンピックス”? 殆んどの日本人にとって聞き慣れない言葉ではないかと思います。私自身も去る8月末、軽井沢の近衞山荘で開かれたチャリティー・ティーパーティーに知人の案内で参加し、これが知的発達障害のある人達に、様々なスポーツトレーニングとその成果の発表の場を、年間を通じて提供している国際的なスポーツ組織である事を初めて知った次第です。

スペシャルオリンピックスは1963年、あの有名なアメリカ大統領、故J.F.ケネディの妹ユニス・シュライバー夫人が、「自宅に閉じこもる事が常という知的発達障害者に、プールで泳いだりトラックを走ったり、あるいは雪や氷の上でのスポーツを楽しむ機会を提供したい」との想いから自宅の庭を開放した事が起源となっています。

1968年にジョセフ・ケネディJr財団の支援で組織化され、全米から世界に広がり、1988年に国際オリンピック委員会と議定書を交して、国際的に認知される組織となりました。スペシャルオリンピックス(略号SO)の国際本部はワシントンD.C.にあり、世界150ヶ国100万人が参加、75万人ものボランティアが支援しています。

SOの最大の目標は、全人口の2~3%、世界で約1.7億人と言われる知的発達障害のある人達の様々な能力を高め、自信と勇気を持ってもらうこと、心と身体の成長を図ることにあります。そのため、健康や体力増進、スキルの促進、多くの人達との交流を通じた社会性の育成などが、彼等の自立や社会参加につながると考え、その機会を途切れる事なく提供するために活動しています。

今年6月には第11回スペシャルオリンピックス夏季世界大会がアイルランドの首都ダブリンで開かれました。開会式には大統領までも出席し、人口350万人のこの小さな国の中から、1万人を超えるボランティアが支援に加わり、世界中から参加した人々の心の交流、人間の機智と勇気、そして知的発達障害を持った人達の限りない可能性を示すドラマが展開されました。

日本には1980年に導入されましたが、スペシャルオリンピックス日本(SON)として国際本部に認証されたのは1994年。2001年にはNPO法人としての認証も受け、現在約20の都道府県に活動が広がっております。しかしその速度は遅くSONとその活動を知る日本人も少なく、国民への認識と理解の拡大は、世界第二の経済大国日本にとって大きな課題です。

そこで細川元総理大臣夫人の細川佳代子さんを代表とするボランティア団体が、知的発達障害者の持てる能力と可能性の高さを示す実例を記録映画「able」、「able2」として纏め、国民への理解の拡大を図るべく、大変な努力をしています。軽井沢チャリティー・ティーパーティーはそのための資金カンパ活動の一環でした。

一方で当社は、即戦力、成果主義と言われる最近のビジネス社会の風潮には疑問を持ち、毎年の社員採用では、有名大学の成績優秀な学生ではなく、むしろ無名に近い大学から、学業成績など無視した新卒のみの採用にこだわり、その潜在的な可能性に期待した会社運営を基本としています。同時に、人間は誰も秀でた点と共に弱点もあり、総合した人間としての能力や価値は皆同じという認識から、日常的な一断面だけ取りあげた健常者あるいは障害者という仕訳にも疑問を感じ、むしろ人間皆健常者であり皆障害者だという考えを持っています。

大切なことは誰もが公平に機会を与えられ、各人が自分の持てる能力を最大限に発揮し、自分に出来る事は自分でやる、他人が困っている事は精一杯の支援をするということではないかと考え、企業運営をしています。そこには、このスペシャルオリンピックスの理念と共通するものがあり、当社はチャリティーパーティー後直ちに臨時の取締役会を開き、寄付、支援を決議すると共に、広く国民への理解を広げるための活動に協力する事にしました。

長期低迷する日本経済の中で「寄付」という言葉を聞いただけで距離を置く企業の多さに、経済大国日本として残念な事だと思います。アイルランド以上に実りあるスペシャルオリンピックス長野にしたいものです。私達もいろいろな場面を通じて理解を深め、経済至上主義ではない、人としての大切な多くの事を学びたいものです。

(2003.11.10 記)

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