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コラム「異見と意見」COLUMN

幸せはどこから?

バブル経済が崩壊し、日本経済が先の見えない不況に突入して久しい。こういう時期に就職活動をする学生達には、実に厳しい環境である。就職超氷河期という言葉さえある。そのような中でやっと就職しておきながら、就職後3年以内に退社してしまう若者が、大学卒業者で30%、高校卒業者で50%を超えるという。いかに転職自由の社会とはいえ、これでは何のために、わずか4年しかない大学生活の内の何ヶ月間かを犠牲にしてまで就職活動をするのか理解に苦しむ。就職が期待通りではなかったという事だろう。

初の就職がこういう結果で終ることは、決して幸せとはいえないだろう。この事が原因の一部かどうかは知らないが、最近、25才未満の若者の失業率が9%を超えているという。これは、平均失業率の2倍に近い。就職活動のどこかに問題があると私は思う。学生達は、就職という事がどういう事か、深く考えたことがないのかも知れないとも思う。そういう認識から私は、採用活動での会社説明会に先立って、就職ということの意味について語る「就職セミナー」を、過去5年以上にわたって、毎年行っている。

一方で、最近は若者の離婚が多いという。成田離婚という言葉もあるが、結婚式当日、式場に当人が現れず成立しない結婚式もあるという。結婚をしない若者も多くなった。

就職をするのもしないのも、あるいは結婚をするのもしないのも個人の自由、各人の生き方の問題である。しかし社会の恩恵を被って生きている以上、社会に対して何かの形で役立つ活動をする事は、社会人として当り前だと思う。また、人間も動物であり、男女という異なった性があり、異なるが故の特徴もある。異なったもの同士の交流は、新しい刺激、体験を通じて、人生の幅を広げてくれるだろう。だから満足、納得のいく就職や、結婚が出来れば、それが一番自然で、幸せなことだと思う。

このような事から、私は就職と結婚に多くの共通点を見出し、「就職と結婚は非常に似ている」という前置きで、就職セミナーでの話を進めている。そういう観点のみから主張するなら、幸せな結婚に至るには、先ず自分が、自分の努力で精一杯幸せになることである。そして「この幸せをあの人に分かち与えたい」という行動が、幸せな結婚へのスタートではないだろうか。「あの人に幸せにしてもらおう」などと、自分が得ること、与えられる事ばかり期待すると、失望や悲劇が起る。自分が与える事は自分の努力で可能だが、与えてもらうために他人を自分の意に沿うように行動させる事は至難の技だからだ。

同じ発想で就職活動を吟味して見ると、就職する人達の殆どは、会社が自分に与えてくれるものの量や質にはこだわるものの、自分に何が出来るのかという、自分から与えるものには殆ど関心がない。これでは入社して何年もしない内に失望し、退社することになろう。

戦後の貧しさを克服し、豊かさを手に入れた日本社会では、自ら積極的に働いたり努力をしなくても、誰もが人並みの豊かさを享受できるようになった。しかし何でもが容易に得られるようになって、私達は本当に幸せになったのだろうか。

精神的にも肉体的にも忍耐力の無い神経質な子供達が増え、ノイローゼや自殺に至る大人達も多い。激しい競争の中で少しでも多くを得ようとあくせくし、あるいは無意識のまま毎日を過している中で、様々な問題が生じている。

私には、誰かから与えられることにより、人間が本当に幸せになるとは思えない。本当の幸せは、他人から与えられることで得られるのではなく、自分が何かを与えることによって初めて得られるものではないかと思う。就職の事で言うならば、先ず自分が、会社にとって役立つ仕事をすることだ。結婚の事で言うならば、自分の幸せを分かち与えることで、相手を幸せにしてあげることだ。そしてこの社会の中で言うならば、皆それぞれに出来る時に出来ることを精一杯やって、他人のため、社会のために役立つことだと思う。与えることこそ自分の幸せの源泉。

(2001.07.31 記)

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