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コラム「異見と意見」COLUMN

21世紀の始めにあたって

新しい年、21世紀の始まりです。とはいえ、一日が24時間、太陽が東から登り西に沈むことに何も変わりはありません。また、私達一人一人、どこで、どんな生き方、過ごし方をしていても、皆平等に新世紀を迎えることが出来ました。しかし同時に、今生きている私達が、自分に与えられた一生という限られた持ち時間を、確実に消耗しているということでもあります。

日本社会は、戦後最長ともいえる不況から脱することができないまま、新世紀を迎えました。この厳しい不況に人生を翻弄されながら、この新世紀を迎えた方もたくさんいることでしょう。そのような中で、当社は、”銀行の世話になる事もなく、しかも前年比増額したボーナスを支払って、元気に新世紀を迎えることができました。未熟と云いながらも、独自の理念の下、社員と共に努力を重ね、正直に誠意を持って会社運営をして来た結果だと思います。

日本の近年を振り返って見ますと、19世紀から20世紀への移り変わりは、明治維新という先人達の勇気ある、世界にも珍しい無血革命を経て、近代化への道を走りながら迎えました。しかし20世紀の半ばになって、自信過剰、あるいは視野の狭さからか、太平洋戦争という大きな過ちを引き起こし、荒廃のどん底に落ちたものの、アメリカの支援の中で価値観の大転換を含む意識革命と、伝統的な日本人の勤勉さの結果、経済的には驚異的な成長を成し遂げ、世界第2位の経済大国にもなりました。

しかしながら、20世紀最後の10年間は、経済は低迷し、社会は乱れ、戦後の荒廃からの立直りで見せた国民のあの勤勉さ、たくましさは見る影もなく、日本中が自信を失ったまま、この21世紀を迎えることになってしまいました。なぜこれ程までに落ち込んでしまったのでしょう。

私は、勤勉さと献身的な努力で達成したこの豊かさそのものが、日本人を、自らの努力や参画を忘れた他者依存型、現状維持型人間に変質させてしまったのではないかと思います。

新しい世紀を迎えた今、私達に必要なのは、本心からの意識改革、あるいは文化改革だと思います。企業に関しては、昨年、経済誌「財界」に掲載されました私の主張、「売上高や規模の拡大のみを追求し、そのために社員を効率良く働く企業戦士に育成するのではなく、企業は社会の公器として、先ず、良き社会人育てをする」という意識改革が必要だと思います。一方で、私達個人も社会人として、ディジタル革命の中でスタートした21世紀にふさわしい意識改革が必要だと思います。

どんな意識改革が必要なのでしょうか?私は他者依存、もたれ合い、受験秀才型から、自主自立、自主参加、未知への挑戦型への変身ではないかと思います。前経済企画庁長官の堺屋太一さんが、こんな事を云っていました。

「試験には必ず答がある。しかし実際の世の中には、答のない事の方が多い。試験はやさしい問題から解くのが勝ちだから、それで勝ち抜いて来た受験秀才は、世の中に出てからも、確実に答のある、やさしい問題を好むようになる。東大生に官庁志向が強いのは、入省何年後にはどういう役職につくという答が見えているからで、入省しても、やさしい問題からしか手をつけない。構造改革や概念づくりなどの難問には、なかなか取組まない」

私達は身近な問題についても、意識を変える必要があります。入社する時には聞いたこともないような仕事をしなければならないなどは当り前。今は10年一昔の時代ではなく、1年一昔の時代。今やセブン-イレブンは、午前7時から午後11まで店を開くのではなく、24時間オープンし、銀行も休日営業を始めました。

あっという間に老舗や大企業が消え、今まで聞いた事もないようなビジネスや企業が生れる。自分達が自信を持って開発した”物”も、出来上がった時には既に最盛期を過ぎ、一年後には既に旧品。予め自分達が用意した目に見える商品を提供することから、顧客のニーズ、満足という、今の時点では未知あるいは目に見えないニーズに応えること、それが21世紀のビジネス。どんなニーズにも適時的確に応えられるビジネスだけが残って行く。職業人としての私達自身も、そういう時代に通用する人間への意識改革が必要なのです。

しかし、どんな時代になっても変わらないことがあります。それは私達が人間であるということ、人間の心を失ってはならないということです。20世紀の1つの問題は、物、金という豊かさに目がくらみ、人間が人間の心を失ってしまったということではないでしょうか。

(2001.01.31 記)

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